【プロ野球記録】捕手(キャッチャー)として出場した外国人選手 中日のA・マルティネスが外国人キャッチャーとしては20年ぶりの出場
2020/07/09

2020年7月4日、巨人vs中日(東京ドーム)の6回裏、中日のキャッチャーが加藤匠馬から一軍に昇格したばかりのアリエル・マルティネスに交代しました。
外国人選手のキャッチャーとしての出場は、2000年のディンゴ(中日)以来20年ぶりのこと。さっそく巨人・吉川尚輝選手の盗塁を阻止しました。
日本のプロ野球で活躍する外国人選手のなかで、とりわけ少ないポジションなのがキャッチャーです。
言語的な問題で試合中のコミュニケーションが難しいとか、キャッチャーとして大成するには育成に時間がかかるため短期間の在籍が多い外国人選手には向かない、などという理由があげられてきました。
そんな貴重な存在である外国人キャッチャーたちをまとめてみました。
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選手 | 球団 | 試合 |
---|---|---|
ハリス | 名古屋→イーグルス 1936~1938 | 179 |
田中義雄※ | 阪神 1937~1944 | 428 |
広田順※ | 巨人 1952~1956 | 423 |
フッド | 毎日 1953 | 2 |
ルイス | 毎日 1954~1955 | 264 |
レッカ | 高橋・トンボ 1954~1955 | 190 |
ブッサン | トンボ 1955 | 1 |
藤重登※ | 南海→阪神 1956~1961 | 127 |
ボトラ | 近鉄 1959 | 40 |
神谷雅巳※ | 大毎 1961 | 1 |
テスタ | 大毎 1962 | 53 |
白仁天● | 東映 1963~1971 | 185 |
ギャレット | 広島 1977~1978 | 12 |
ディアズ | ロッテ 1990~1991 | 21 |
キャブレラ | オリックス 1994 | 1 |
ディンゴ | 中日 2000 | 1 |
マルティネス | 中日 2020~ | (1) |
※田中義雄、広田順、藤重登、神谷雅巳はハワイ出身の日系アメリカ人
●出生時の国籍が日本だったので、外国人登録はされず日本人選手として扱われた
出場試合数ランキング
2019年現在
選手 | 試合 |
---|---|
田中義雄 | 428 |
広田順 | 423 |
ルイス | 264 |
レッカ | 190 |
白仁天 | 185 |
ハリス | 179 |
藤重登 | 127 |
テスタ | 53 |
ボトラ | 40 |
ディアズ | 21 |
フッド | 12 |
ギャレット | 12 |
ブッサン | 1 |
神谷雅巳 | 1 |
キャブレラ | 1 |
ディンゴ | 1 |
各選手の詳細
試合数は捕手として試合に出場した回数。
ハリス
名古屋(1936)→イーグルス(1937~1938)
年 | 球団 | 試合 |
---|---|---|
1936春夏 | 名古屋 | 15 |
1936秋 | 名古屋 | 23 |
1937春 | イーグルス | 17 |
1937秋 | イーグルス | 49 |
1938春 | イーグルス | 35 |
1938秋 | イーグルス | 40 |
国内通算 | 179 |
日本でプロ野球リーグ戦が始まった1936年に名古屋軍に入団。
翌年イーグルスに移籍。打撃守備の両面でチームをひっぱり、春季最下位だったチームが秋季で3位になる原動力となりました。リーグ最多安打を放ちMVPを受賞。
1938年春季には6本のホームランで本塁打王に。
田中義雄
阪神(1937~1944)
年 | 球団 | 試合 |
---|---|---|
1937秋 | タイガース | 43 |
1938春 | タイガース | 24 |
1938秋 | タイガース | 31 |
1939 | タイガース | 2 |
1940 | 阪神 | 100 |
1941 | 阪神 | 65 |
1942 | 阪神 | 103 |
1943 | 阪神 | 58 |
1944 | 阪神 | 2 |
国内通算 | 428 |
ハワイ出身の日系アメリカ人。通称は「カイザー田中」
戦前の阪神を正捕手として支えた元祖「メガネの捕手」
捕手として十分な活躍にもかかわらず「メガネをかけた捕手は大成しない」という考えが長年プロ野球界にはびこり、そのジンクスをふりはらわれるには古田敦也が世に出てくるまで待たなければなりませんでした。
1959年、長嶋茂雄がサヨナラホームランを打った天覧試合では阪神の監督を務めました。
広田順
巨人(1952~1956)
年 | 球団 | 試合 |
---|---|---|
1952 | 巨人 | 79 |
1953 | 巨人 | 114 |
1954 | 巨人 | 106 |
1955 | 巨人 | 96 |
1956 | 巨人 | 28 |
国内通算 | 423 |
ハワイ出身の日系アメリカ人。
巨人の第二期黄金時代を支え、1953年~1955年まで3年連続ベストナイン。オールスターにも1952年から4年連続出場しました。
西田亨(ビル西田)投手と1952年と1955年に、松岡光雄投手と1954年に、いずれもアメリカ国籍の投手と外国人選手同士のバッテリーを組んでいます。
フッド
毎日(1953)
年 | 球団 | 試合 |
---|---|---|
1953 | 毎日 | 2 |
国内通算 | 2 |
進駐軍として横須賀基地に勤務。
捕手のほかに三塁手、遊撃手、外野手としても出場。
1953年9月6日には、プロ野球史上初の3イニング連続ホームラン(4回~6回)を放ちました。
ルイス
毎日(1954~1955)
年 | 球団 | 試合 |
---|---|---|
1954 | 毎日 | 130 |
1955 | 毎日 | 134 |
国内通算 | 264 |
1954年と1955年の2年間、正捕手として毎日を支え2年連続でベストナインとなりました。
オールスターにも2年連続出場。1954年第1戦と第2戦、1955年第1戦では誰とも交代することなく9イニングフル出場。1954年のオールスターに全パから出場した捕手はルイスだけでした。(1954年に捕手として選ばれた南海・松井淳と西鉄・日比野武は出場なし)
レッカ
高橋・トンボ(1954~1955)
年 | 球団 | 試合 |
---|---|---|
1954 | 高橋 | 117 |
1955 | トンボ | 73 |
国内通算 | 190 |
1954年には、リーグ4位となる23本のホームランを打ちました。
ブッサン
トンボ(1955)
年 | 球団 | 試合 |
---|---|---|
1955 | トンボ | 1 |
国内通算 | 1 |
外野手が本職。外野手として63試合に出場しました。
藤重登
南海(1956~1957)→阪神(1959~1961)
年 | 球団 | 試合 |
---|---|---|
1956 | 南海 | 6 |
1957 | 南海 | 7 |
1959 | 阪神 | 29 |
1960 | 阪神 | 61 |
1961 | 阪神 | 24 |
国内通算 | 127 |
ハワイ出身の日系アメリカ人。
南海では野村克也が台頭してきた時期と重なり出場機会は少なかったです。
阪神では3年間で114試合に出場。
ボトラ
近鉄(1959~1961)
年 | 球団 | 試合 |
---|---|---|
1959 | 近鉄 | 40 |
国内通算 | 40 |
1959年は一塁手としても62試合に出場。
1960年に投手にコンバート。2年間で49試合に登板して6勝16敗の成績でした。
神谷雅巳
大毎(1961~1962)
年 | 球団 | 試合 |
---|---|---|
1961 | 大毎 | 1 |
国内通算 | 1 |
通算の出場試合は1試合にとどまりました。
テスタ
大毎(1962)
年 | 球団 | 試合 |
---|---|---|
1962 | 大毎 | 53 |
国内通算 | 53 |
ディサ投手、外国人選手の登録名に詳しい人には有名なマニー投手、2人の外国人投手の専属捕手的な役割をしました。
白仁天
東映・日拓・日本ハム(1962~1974)→太平洋(1975~1976)→ロッテ(1977~1980)→近鉄(1981)
年 | 球団 | 試合 |
---|---|---|
1963 | 東映 | 16 |
1964 | 東映 | 81 |
1965 | 東映 | 87 |
1971 | 東映 | 1 |
国内通算 | 185 |
韓国出身ですが、出生時の国籍が日本であったため外国人登録はされず日本人選手として扱われました。
1965年9月に正捕手の座を種茂雅之に譲り外野手に転向。
1982年に発足したばかりの韓国プロ野球に参加。.412で初代の首位打者になっています。(韓国プロ野球で唯一の打率4割越え)
ギャレット
広島(1977~1979)
年 | 球団 | 試合 |
---|---|---|
1977 | 広島 | 11 |
1978 | 広島 | 1 |
国内通算 | 12 |
本職は外野手。
1978年には40本塁打。オールスター第1戦では3本のホームランを打っています。
ディアズ
ロッテ(1989~1992)
年 | 球団 | 試合 |
---|---|---|
1990 | ロッテ | 15 |
1991 | ロッテ | 6 |
国内通算 | 21 |
主に指名打者として四番を任されていました。
1990年7月28日のダイエー戦6回2アウト。投手が先発の前田幸長から伊良部秀輝へ交代すると、捕手も福沢洋一からディアズに交代しました。
8回2アウトからは荘勝雄投手が登板。1962年に大毎でディサ投手とテスタ捕手のバッテリーが組まれて以来となる28年ぶりの外国人同士のバッテリーでした。
ディアズが捕手に交代してからはダイエー打線を無安打に抑え勝利しました。
◆ディアズが捕手として出場した試合
出場日 | 相手 | |
---|---|---|
1990年07月28日 | ダイエー | |
1990年07月29日 | ダイエー | 先発 |
1990年07月30日 | ダイエー | 先発 |
1990年07月31日 | 日本ハム | 先発 |
1990年08月01日 | 日本ハム | 先発 |
1990年08月02日 | 日本ハム | 先発 |
1990年08月03日 | オリックス | 先発 |
1990年08月04日 | オリックス | 先発 |
1990年08月07日 | 西武 | 先発 |
1990年08月08日 | 西武 | 先発 |
1990年08月10日 | 近鉄 | 先発 |
1990年08月14日 | 日本ハム | 先発 |
1990年08月15日 | 日本ハム | |
1990年08月16日 | 日本ハム | 先発 |
1990年08月25日 | 西武 | |
1991年06月02日 | 西武 | 先発 |
1991年06月06日 | ダイエー | 先発 |
1991年06月08日 | 近鉄 | 先発 |
1991年06月09日 | 近鉄 | 先発 |
1991年06月11日 | オリックス | 先発 |
1991年06月12日 | オリックス | 先発 |
キャブレラ
オリックス(1994)
年 | 球団 | 試合 |
---|---|---|
1994 | オリックス | 1 |
国内通算 | 1 |
本職は一塁手。
1994年6月10日のロッテ戦で、途中からマスクをかぶりました。
ディンゴ
中日(2000)
年 | 球団 | 試合 |
---|---|---|
2000 | 中日 | 1 |
国内通算 | 1 |
「ディンゴ」は愛称で、出身地オーストラリアに生息する犬から取ったもの。本名はデーブ・ニルソン。
オリンピックやWBCのオーストラリア代表選手。オリンピックでは2000年のシドニーと2004年のアトランタの日本戦でホームランを打つなどを苦しめられました。
本職は外野手。
2000年7月19日のヤクルト戦で途中からマスクをかぶりました。
アリエル・マルティネス
中日(2018~) キューバ出身。
年 | 球団 | 試合 |
---|---|---|
2020 | 中日 | (1) |
国内通算 | (1) |
※2020年7月4日現在
2020年7月4日の巨人戦6回裏、外国人キャッチャーとして20年ぶりにマスクをかぶりました。
同じく6回裏から登板したゴンザレスと、セ・リーグでは1955年10月8日の巨人・西田亨-広田順以来となる外国人選手同士のバッテリーとなりました。
翌7月5日には、1991年6月12日のディアズ以来の先発マスク。
7月7日には、同じキューバ出身のライデル・マルティネス投手とマルティネス同士のバッテリーが誕生。
急場しのぎの起用ではなく、今後ドラゴンズの正捕手になることもありえる?
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