【プロ野球記録】オールスターに選ばれながら試合に不出場だった選手
2019/07/12
オールスターの晴れ舞台に選ばれて、自分の出番はいつかいつかと待ちわびていたら試合が終了……。
メジャーリーグのオールスターだと1試合だけなので、出番が無かったなんて事態も起こるようですが、日本のオール―スターは2試合~3試合行われるのでケガでもしないかぎり、どこかのタイミングで1度は使われます。
日本でもオールスターが始まったころには1試合も出れなかった選手がしばし見られました。
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オールスターに選出されながら試合に不出場
年 | セ・リーグ | パ・リーグ |
1951 | 大島信雄(投・名古屋) 白坂長栄(内・阪神) |
荒巻淳(投・毎日) 関根潤三(投・近鉄) 筒井敬三(捕・南海) |
1952 | 藤本英雄(投・巨人) 大島信雄(投・名古屋) 杉山悟(外・名古屋) |
江藤正(投・南海) 中原宏(投・南海)★ 伊勢川真澄(捕・大映) 筒井敬三(捕・南海) |
1953 | 石川克彦(投・名古屋)★ 中尾碩志(投・巨人) 梶岡忠義(投・阪神) |
沢藤光郎(投・近鉄)★ 姫野好治(投・大映)★ 大津守(投・西鉄) |
1954 | 中尾碩志(投・巨人) | 大神武俊(投・南海)★ 松井淳(捕・南海) 日比野武(捕・西鉄) |
1955 | 中尾碩志(投・巨人) | |
1956 | 渡辺博之(内・阪神) | 河村久文(投・西鉄) |
1957 | 別所毅彦(投・巨人) 村田元一(投・国鉄) 鈴木隆(投・大洋) |
和田博実(捕・西鉄) 岡本伊三美(内・南海) 戸倉勝城(外・阪急) |
1958 | 河村久文(投・西鉄) 山下健(捕・阪急) |
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1961 | 弘瀬昌彦(投・広島)★ 西尾滋高(投・中日)★ 島田源太郎(投・大洋) |
皆川睦男(投・南海) |
1962 | 久保田治(投・東映) 皆川睦男(投・南海) 河合保彦(捕・西鉄) |
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1972 | 外木場義郎(投・広島) | 加藤俊夫(捕・東映) 種茂雅之(捕・阪急) |
1973 | 木俣達彦(捕・中日) |
★…オールスター選出1回のみ
試合に出れなかった選手は、実績が少なくまだ中央球界では無名な選手というばかりではなく、藤本、中尾、別所のような巨人のスター選手も出ていない年もあります。
大島信雄(1951・1952)、筒井敬三(1951・1952)、皆川睦男(1961・1962)は2年連続で不出場。中尾碩志にいたっては53年~55年まで3年連続で1試合も登板がありませんでした。
上記表中で★が付いた選手は、ただ1回だけ選ばれたオールスターで出番が無かったという不運。
大島信雄は選ばれた2回とも登板機会がありませんでした。
投手はだいたい10人以上と多くの選手が選ばれるので、投げられなかった投手が出てくるのは分かりますが、捕手で選ばれた3人のうち2人がまったく試合に出なかった年が3回あります。
年 | 出場捕手 | 不出場捕手 |
1952 | 土井垣武(毎日) | 伊勢川真澄(大映) 筒井敬三(南海) |
1954 | ルイス(毎日) | 松井淳(南海) 日比野武(西鉄) |
1972 | 野村克也(南海) | 加藤俊夫(東映) 種茂雅之(阪急) |
1954年は2試合制ですが1972年は3試合制。ノムさんはまるまるマスクを被り続けました。第1戦と第2戦で四番を務め、第1戦ではホームランを放ちMVPに輝くタフさ。
1952年も2試合制でしたが、第1戦は延長21回まで戦って引き分け。土井垣は3試合よりも長い30イニングもホームを譲り渡しませんでした。
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