【プロ野球記録】大谷翔平が4番ピッチャーでスタメン 歴代4番ピッチャー一覧
2017/10/12
2017年10月4日、札幌ドームでおこなわれた北海道日本ハムの今季本拠地最終戦となるオリックスとの一戦で、大谷翔平が4番ピッチャーで先発出場しました。
9回を投げて被安打2の無失点で完封勝利、ヒットも1本打ち先制のホームを踏むなど、二刀流の本領を見事に発揮。
来季からのメジャーリーグ挑戦が有力視されているなか、おさらく日本最後の公式戦出場となるであろう試合でまた伝説を作り上げました。
今季最後のホームゲームとなる本日のスタメン!
4番・ピッチャー 大谷翔平!!#lovefighters #宇宙一のその先へ pic.twitter.com/rGYR9xWTMl— 北海道日本ハムファイターズ公式 (@FightersPR) October 4, 2017
【試合前】
4番、ピッチャー大谷。 #lovefighters pic.twitter.com/ITTod9RjMT— パ・リーグTV公式 (@PacificleagueTV) October 4, 2017
高校野球では、エースが4番も打つことも珍しくないことですが、分業制が確立されたプロ野球ではまずお目にかかれないものです。
まだ選手の絶対数が少なく、一流選手とそうでない選手の間に実力差がかなりあったプロ野球草創期ならいざ知らず、現代では到底ありえないことだと思われていました。
それを現実として見せてくれるとは、大谷翔平ただただカッコいいとしか言いようがありません。
先発「4番ピッチャー」は、パ・リーグ初。1951年10月7日の藤村富美男(阪神)以来66年ぶり。1リーグ時代から合わせて271回目の記録。
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歴代プロ野球「4番ピッチャー」
プロ野球で「4番ピッチャー」で先発出場した選手を調べてみました。
※試合途中でリリーフしたピッチャーが打順4番に入ったものは含めません。
「スタメンアーカイブ(日本プロ野球私的統計研究会)」
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上記のサイトのデータベースを参考にしています。
もし抜けや漏れ、ミスなどがあればご指摘ください。
「4番ピッチャー」出場数ランキング
1位 野口二郎 77試合
年 | 所属 | 試合 |
1939 | セネタース | 26 |
1940 | セネタース | 4 |
1941 | 大洋 | 13 |
1942 | 大洋 | 21 |
1946 | 阪急 | 9 |
1947 | 阪急 | 3 |
1948 | 阪急 | 1 |
戦前から戦後にかけて活躍した鉄腕。
「4番ピッチャー」として出場した1942年5月24日の名古屋戦では、史上最長の延長28回を344球投げ完投しました。(4-4の引き分け)
2位 亀田忠 70試合
年 | 所属 | 試合 |
1938 | イーグルス | 24 |
1939 | イーグルス | 27 |
1940 | イーグルス(黒鷲) | 19 |
ハワイ出身の日系2世。三振か四球かという豪快なピッチング。ノーヒットノーランを2度記録。
3位 古谷倉之助 34試合
年 | 所属 | 試合 |
1936 | 金鯱 | 14 |
1937 | 金鯱 | 3 |
1939 | 金鯱 | 11 |
1940 | 金鯱 | 4 |
1941 | 大洋 | 2 |
1936年10月4日の阪急戦で日本プロ野球史上初めて「4番ピッチャー」で先発出場。
4位 中河美芳 22試合
年 | 所属 | 試合 |
1938 | イーグルス | 1 |
1939 | イーグルス | 9 |
1940 | イーグルス | 5 |
1941 | 黒鷲 | 7 |
一塁の守備で、どんな送球でも両足を地面に着くほど大きく広げて捕球し「タコ足」の異名で呼ばれました。
5位 清水秀雄 19試合
所属 | 年 | 試合 |
1940 | 南海 | 5 |
1944 | 近畿日本 | 14 |
1940年に入団したときは豪腕としてならし、兵役から帰還後は軟投派としてならしました。
6位 別所昭(毅彦) 8試合(1943年・南海・8試合)
7位 高橋敏 6試合(1943年・阪急・2試合/1944年・阪急・4試合)
8位 景浦将 4試合(1937年・阪神・4試合)
8位 浅野勝三郎 4試合(1940年・阪急・4試合)
8位 野口明 4試合(1942年・大洋・2試合/1943年・西鉄・2試合)
11位 ボンナ 3試合(1936年・大東京・3試合)
11位 遠藤忠二郎 3試合(1936年・大東京・2試合/1938年・セネタース・1試合)
11位 大沢清 3試合(1939年・名古屋・3試合)
11位 川上哲治 3試合(1940年・巨人・2試合/1941年・巨人・1試合)
15位 大下弘 2試合(1946年・セネタース・1試合/1947年・東急・1試合)
16位 桜井七之助 1試合(1937年・ライオン)
16位 大友一明 1試合(1938年・ライオン)
16位 須田博(スタルヒン) 1試合(1944年・巨人)
16位 中村政美 1試合(1944年・巨人)
16位 森本清三 1試合(1944年・朝日)
16位 内藤幸三 1試合(1944年・朝日)
16位 菊矢吉男 1試合(1944年・朝日)
16位 藤村富美男 1試合(1951年・阪神)
16位 大谷翔平 1試合(2017年・日本ハム)
年度別「4番ピッチャー」試合数
年 | 試合 | 内訳 |
1936 | 19 | 古谷14 ボンナ3 遠藤2 |
1937 | 8 | 景浦4 古谷3 桜井1 |
1938 | 27 | 亀田24 遠藤1 大友1 中河1 |
1939 | 76 | 亀田27 野口26 古谷11 中河9 大沢3 |
1940 | 43 | 亀田19 中河5 清水5 古谷4 野口4 浅野4 川上2 |
1941 | 23 | 野口13 中河7 古谷2 川上1 |
1942 | 23 | 野口二21 野口明2 |
1943 | 12 | 別所8 野口明2 高橋2 |
1944 | 23 | 清水14 高橋4 須田 中村 森本 内藤 菊矢1 |
1946 | 10 | 野口9 大下1 |
1947 | 4 | 野口3 大下1 |
1948 | 1 | 野口1 |
1951 | 1 | 藤村1 |
2017 | 1 | 大谷1 |
計 | 271 |
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