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横綱千代の富士が黒まわしで登場した日

2016/08/31

2016年7月31日、元横綱千代の富士の九重親方がすい臓がんのため亡くなりました。まだ61歳の若さでした。

 

 

数々の名勝負を演じた大横綱

自分が大相撲を見始めた時からすでに横綱として君臨していて、子供時代はその全盛期を見て育ちました。まさに横綱といえば千代の富士のことともいえる世代なので、訃報に接した時には一つの時代が終わったようなショックがありました。

 

追悼番組などでは、千代の富士の過去の取組が何番か放送されていました。

関脇時代、横綱北の湖を優勝決定戦で下し初優勝を決めた一番(1981年1月場所千秋楽)。

当時、戦後最高の53連勝を果たした一番(1988年11月場所14日目)。

激しく突っ張ってくる寺尾を捕まえ、後ろからつり落とした一番(1989年11月場所5日目)。

相撲界初の通算1,000勝を達成した一番(1990年3月場所7日目)。

貴花田(のち横綱貴乃花)の初挑戦に敗れた一番(1991年5月場所初日)。

など。

当時の相撲を見ていた方にとって、どれかひとつは強く記憶に残っている一番はあるんじゃないでしょうか。

自分もどれも見ていて熱くなっていました(初優勝の北の湖戦だけはリアルタイムで見ていませんが…)。

 

 

私の印象に残っている一番

数多く見てきた千代の富士の取組の中で特に印象に残っている一番。

それは1985年5月場所初日の千代の富士-小錦の一番。

相撲の内容というよりも、土俵上に現れた千代の富士の姿に驚いたのです。

 

当時はテレビ中継のカラー化が定着して十数年は経ったかという時代。

力士の締めるまわしは昔の地味な色合いのものから、見た目に華やかな色鮮やかなものを締める力士が多くなってきました。

青系統の爽やかな色合いのまわしが多かったと思いますが、なかには高見山のオレンジ色や輪島の黄金色なんてのもありました。

当時は保志(北勝海)や水戸泉などがまばゆいほどの蛍光色のまわしを締めていて、当時子どもだった私の目にきらきらしてとても綺麗なものに映りましたね。

 

そんな力士のまわしがますます色鮮やかになる傾向のなか、前の場所まで鮮やかなスカイブルーのまわしだった千代の富士が締めていたのは

なんと黒いまわし!

相撲界では黒は黒星に通じるものがあるし、見た目にも地味で格好悪いとおもわれたのか、黒いまわしを付けていた力士はいなかったようです。

しかし、引き締まった筋肉質な身体に黒いまわしはよく似合いました。黒いまわしで勝ち続ける姿は凄みさえも感じましたね。

全盛期を迎え次々に優勝を重ねていく姿を見ると、今まで敬遠されていた黒いまわしも格好よくみえてくるもの。

格好よいなあ~と憧れて黒いまわしをつけてくる力士も続出します。有名な力士でいえば、小錦、安芸乃島、朝青龍あたりもつけていましたね。

 

なぜ黒まわしにしたのか

東京後援会長の大堀弘・元電源開発総裁が5月場所初日の正午に急逝したため、追善供養・弔い合戦の意味で締めたということです。(雑誌『相撲』1985年7月号より)

 

 

さらば大横綱

それにしても早すぎます。

約1年前には還暦横綱土俵入りで、現役時代と変わらない肉体美と元気さを見せていただけに信じられない気持ちでいっぱいです。

テレビ番組で何か器用な所を見せたときに「なんせ技能賞5回受賞してますから」とか、小錦の突っ張りはまるで足で蹴られているようだという話になって「みなさんも一度小錦に突っ張ってもらったらいいですよ」と冗談を言う姿がもう見られないのは寂しいです。

お別れの会が10月1日に国技館で開催される予定です。

 

北海道は函館に近い松前郡福島町出身の千代の富士。相撲部屋にスカウトされた時は「飛行機に乗せてやるよ」の言葉にぐらついて入門したのは有名なエピソードです。当時(1970年ころ)は飛行機に乗るなんてことはめったにないことでした。

もし今だったら「(北海道新幹線の)グランクラスに乗せてやるよ」が口説き文句になってたのかもしれませんね。

 

 

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