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【大相撲】関取の人数推移一覧

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昭和以降の幕内十両を合わせた関取人数の推移を一覧にしてみました。

 

東京相撲と大阪相撲が合併して1927年(昭和2年)1月場所から相撲協会が一本化されました。

ちなみに合併直前の場所である1926年(大正15年)5月場所は、幕内40人、十両20人で、関取は計60人でした。

関取の人数は、引退・死去で6人減り、大阪相撲から12人加わり、計66人で新体制がスタートしました。

 

東西合併から春秋園事件まで

期間 幕内 十両 合計 増減
1927.01~1927.10 42 24 66
1928.01 40 25 65 ▼1
1928.03 42 21 63 ▼2
1928.05 42 22 64 △1
1928.10 42 23 65 △1
1929.01~1929.03 40 24 64 ▼1
1929.05~1932.01 40 22 62 ▼2

 

1932年1月場所の番付発表後に春秋園事件が勃発。

詳しくは⇒春秋園事件|Wikipedia

相撲協会の体質改善を要求して多くの力士が協会から離脱した事件ですが、協会に残留したのは、幕内40人中12人、十両22人中3人の計15人。

足りなくなった人数を補うために、幕内へは残留した十両力士3人を引き上げ(この中のひとりに後の大横綱・双葉山がいました)、さらに幕下力士5人を十両を飛び越して抜擢しました。

幕下から幕内に抜擢された5人のうち、瓊ノ浦(たまのうら。のち両国に改名)は一度も十両に陥落することなく引退したので、昭和以降で十両を一度も経験したことのない唯一の幕内力士になりました。

十両力士は20人全員が幕下から引き上げられ、そのうち15人が新十両でした。

期間 幕内 十両 合計 増減
1932.02~1932.03 20 20 42 ▼22
1932.05~1932.10 23 22 45 △5
1933.01※ 25 22 47 △2
1933.05 37 30 67 △20

 

相撲協会に残った力士と幕下からの抜擢人事で関取の数を合わせましたが22人の減。興行日数の減少と総当たり制の実施で乗り切ります。

春秋園事件から約1年がたつと相撲協会への帰参を希望する力士が増え、それらの力士は1933年1月場所で番付面記載以外の別席として20人(幕内12人、十両8人)が相撲を取りました。

別席20人のうち19人は翌5月場所から番付面に復帰(1人は引退)。事件以前の規模に戻ってきました。

 

双葉山人気で関取人数も増加

期間 幕内 十両 合計 増減
1934.01 39 26 65 ▼2
1934.05~1935.05 40 26 66 △1
1936.01 41 29 70 △4
1936.05~1937.01 42 28 70
1937.05 44 28 72 △2
1938.01 44 33 77 △5
1938.05 46 30 76 ▼1
1939.01 45 30 75 ▼1
1939.05 46 32 78 △3
1940.01 49 32 81 △3
1940.05 49 33 82 △1
1941.01 51 32 83 △1
1941.05~1942.01 54 31 85 △2
1942.05 52 30 82 ▼3
1943.01 48 30 78 ▼4
1943.05 50 30 80 △2
1944.01 49 31 80
1944.05 48 32 80
1944.11 50 33 83 △3
1945.06 50 28 78 ▼5
1945.11 49 34 83 △5
1946.11 47 31 78 ▼5

 

相撲史上最高の69連勝を記録した横綱・双葉山の活躍などもあり、空前の相撲人気に沸きかえります。

1941年5月場所と1942年1月場所の2場所の関取人数は戦前最高の85人を数えました。(前頭の枚数は21枚目にまでなりました)

 

戦後復興。増え続ける関取衆

敗戦により世情が混乱する中、関取の数は減るどころか徐々に増え続けていきます。

「もはや戦後でない」という言葉も出てきたころには大台に近づいてきました。

期間 幕内 十両 合計 増減
1947.06~1947.11 50 31 81 △3
1948.05~1950.01 52 31 83 △2
1950.05 54 31 85 △2
1950.09 54 30 84 ▼1
1951.01~1951.05 53 32 85 △1
1951.09 52 32 84 ▼1
1952.01~1952.05 52 34 86 △2
1952.09 53 36 89 △3
1953.01 52 38 90 △1
1953.03 51 40 91 △1
1953.05 50 41 91
1953.09 51 40 91
1954.01 49 43 92 △1
1954.03 53 42 95 △3
1954.05 51 45 96 △1
1954.09 52 45 97 △1
1955.01~1955.03 50 44 94 ▼3
1955.05 52 42 94
1955.09 52 44 96 △2
1956.01 54 45 99 △3
1956.03~1956.05 56 46 102 △3
1956.09 55 46 101 ▼1
1957.01 57 44 101
1957.03~1957.11 58 46 104 △3
1958.01 55 48 103 ▼1
1958.03~1958.09 54 48 102 ▼1

 

1956年3月場所の番付ではついに関取衆100人越え!

1957年3月場所から11月場所までの4場所は史上最多の104人にまで膨れ上がります。

1957年3月場所の前頭の枚数は23枚目まで、1958年1月場所の十両の枚数は24枚目にまで膨れあがります。

 

減少傾向へ

さすがに関取衆の人数が増えすぎてきたので、約1年半くらいかけて関取の数を徐々に減らしていく方針になりました。

勝ち越したのに上に上がれないなどの番付上の不運が頻発する時期になります。

期間 幕内 十両 合計 増減
1958.11 50 48 98 ▼4
1959.01 51 46 97 ▼1
1959.03 49 45 94 ▼3
1959.05 48 43 91 ▼3
1959.07 47 40 87 ▼4
1959.09 46 39 85 ▼2
1959.11 44 40 84 ▼1
1960.01~1960.05 43 36 79 ▼5
1960.07~1961.01 41 38 79
1961.03~1963.11 41 36 77 ▼2
1964.01~1967.03 40 36 76 ▼1

 

1964年1月場所に幕内40人、十両36人という数に収束し、しばらくこのまま落ち着きます。

しかし、それでもぬるま湯状態であるとの危機感から大ナタがふるわれることになります。

 

番付大削減

1959年ごろから1960年にかけては徐々に減らしていきましたが、今回は時間をかけずに一気に減らしました。

当時の時津風理事長(元横綱・双葉山)の英断で幕内6人、十両10人をばっさりと削減。

有無をいわせない過酷なもので、負け越した力士はともかくとして、勝ち越したにもかかわらず十両から幕下へ落とされた力士が3人も出ました。

 

60人になったあとは、ちょこちょこ増減を繰り返しながら結局64人ぐらいをキープしていきました。

期間 幕内 十両 合計 増減
1967.05~1968.11 34 26 60 ▼16
1969.01 34 25 59 ▼1
1969.03~1971.11 34 26 60 △1
1972.01 35 26 61 △1
1972.03 36 26 62 △1
1972.05 35 25 60 ▼2
1972.07 35 26 61 △1
1972.09~1972.11 37 25 62 △1
1973.01 36 25 61 ▼1
1973.03 36 26 62 △1
1973.05 37 25 62
1973.07 37 26 63 △1
1973.09~1975.09 36 26 62 ▼1
1975.11 36 27 63 △1
1976.01~1977.07 36 26 62 ▼1
1977.09 36 25 61 ▼1
1977.11~1979.05 36 26 62 △1
1979.07 38 22 60 ▼2
1979.09 38 24 62 △2
1979.11 35 26 61 ▼1
1980.01 37 25 62 △1
1980.03~1980.11 36 26 62
1981.01 35 27 62
1981.03~1981.05 35 26 61 ▼1
1981.07 36 26 62 △1
1981.09~1981.11 35 26 61 ▼1
1982.01 36 26 62 △1
1982.03~1982.05 37 26 63 △1
1982.07~1982.09 38 26 64 △1
1982.11 37 26 63 ▼1
1983.01 38 26 64 △1
1983.03 35 26 61 ▼3
1983.05 36 26 62 △1
1983.07~1983.11 37 26 63 △1
1984.01~1984.11 38 26 64 △1
1985.01 37 26 63 ▼1
1985.03~1986.01 38 26 64 △1
1986.03~1986.07 37 26 63 ▼1
1986.09~1987.07 38 26 64 △1
1987.09 37 26 63 ▼1
1987.11~1990.11 38 26 64 △1

 

 

最近は定員増が2回。

期間 幕内 十両 合計 増減
1991.01~2003.11 40 26 66 △2
2004.01~2011.05 42 28 70 △4
2011.07 40 26 66 ▼4
2011.09~ 42 28 70 △4

 

1991年1月場所から幕内定員が2人増えました。

その恩恵を受けて、前場所新十両で11勝4敗(西十両9枚目)の大輝煌(だいきこう)が十両を1場所で通過しての新入幕を決めました。しかし、幕内在位がその1場所だけで終わるとは想像もできませんでしたが。

 

2004年1月場所から公傷制度が廃止になるのに伴い、枚数に少しでも余裕を持たそうと、幕内と十両でそれぞれ1枚ずつ増加の4人増。

東幕下9枚目の白鵬が6勝1敗ながら幸運の新十両昇進。西幕下16枚目で7戦全勝優勝の大真鶴も新十両へ(通常であれば7戦全勝で十両に上がれるのは幕下15枚目以内に限られます)。

 

八百長問題のときに、大量の引退力士が出て1場所だけ減らしたこともありましたが、それからずっと幕内42人、十両28人の70人体制をキープし続けています。

 

 

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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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